春夏秋冬叢書 発行物「東三河郷土雑話」


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「東三河郷土雑話」

郷土史研究の先人豊田珍比古の「東三河郷土雑話」。
50年の眠りから、復刻なる。

豊田珍比古 著

写真 山本宏務ほか
監修 豊田俊充

定価 3,000円(税別)
B6判/ハードカバー/304頁
ISBN978-4-901835-37-4 C0339
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復刻にあたって
豊田珍比古著「東三河郷土雑話」はその「序」によれば、昭和36年。著者80歳を記念して「私の生命でもある郷土研究の索引ともいうべきものを披瀝」として発行されている。
 浅学を恥じなくてはならないのだが、小社春夏秋冬叢書の設立間もなく、この小冊子が偶然手に入り、豊田珍比古氏の名を初めて知った。編集後記によれば、中部日本新聞に連載されていたものを、訂正推敲したうえで豊橋新聞社が五十年ほど前に纏めて出版したものとある。
 氏は明治15年生まれ、同45年より考古学・歴史郷土史の研究を始め昭和25年には三河郷土会会長となり、郷土研究一筋に生き著作も多い。
 本文を読むと、豊橋を中心とした東三河の歴史が簡潔な短文で書かれ、始めて知る記述も多く、大変面白く一気に読み終えてしまった。50年経った現在でも、この地域を知るための入門書として大変ふさわしい一冊と感じた。可能ならば復刻をと考えたが、残念ながら我々は何ら氏について消息や情報を持たず、発行の豊橋新聞社も今は無い。担当者の名だけは奥付で解ったが、その後の消息はやはりつかめず、復刻は一端諦め、本棚の片隅にただ収まったまま長い年月が過ぎ去った。
 8年ほど経過したある時、偶然、旧知の豊田俊充氏がご子息であることが判明、快諾を頂き出版にこぎ着けたものである。
 本文は極力原文のままに、明らかな誤植とは別に、50年の経過で現状が変更された内容や、その間に明らかにされた新事実だけは、訂正または脚注に記載すること。そして、そのままでは、すでに現在の読者には理解しにくい内容は脚注で解説する。さらに、元の著作にはなかったが、理解を進めるために一話ごとに現況の写真を添えるとの編集方針を決め取りかかったが、思いの外に難航した。
 50年の経過は、その存在が忘れられてしまったものや、天然記念物の大樹などには枯死してそのものが消滅したものなどが続出。一件ごとの確認作業は遅々として進まず、発行は予定を大幅に遅れてしまった。しかしその確認作業は、読者の皆様に先駆けてこの地域について多くのことを我々に与えてくれた。
 巻末には、氏の郷土随筆「三河百話」の中から、本編の内容に関係する数編を収録させて頂いた。併せてお読み頂ければ、この地域を一層理解できると同時に、氏の地域への情熱と探求心の一端をお伝えできるならば望外の喜びです。(編集子)





郷土史の研究
郷土の研究と郷土史の研究とは違う。郷土の研究は、郷土一切の研究で、郷土史の研究とは郷土の歴史に就いての研究。そこで、三河国に就いていえば、この三河国は大化元年(六四五)、三河国と穂国と合併して成立した。今日東三河というのはその穂国で西三河というのが三河国であった。その穂国の名は穂郡として残され、それが後の宝飯郡で、三河国の歴史はここに初まるのである。三河の名は加茂の御川ということらしい。



穂国の名
東三河は、古く穂国といい穂別の治める国であった。別とは地方官の名である。その穂国が宝飯郡となり後へ伝わった。その他にも本宮山が穂の宮の山であり、そこから流れ出る宝川の川も穂の川で、またその附近を本野原というも穂の原である。豊川が穂の川であったとの説もある。宝も豊も音が同じであるからで、こうして古い地名が文字を変えながらも残っていることは注意すべきことであろう。



三河と伊勢の関係
我国の歴史の初まる頃、この三河は伊勢国の植民地のような姿であった。その第一の足がかりが渥美半島で、それに続く海岸地方から追々に開けて来た。そうした関係から伊勢神宮の領地が多く、神戸、御厨、御園など三十余ヶ所もあり、そこには大抵神明社が祭られ、今に続いているのが少くない。豊橋では八町神明社、東田神明社、湊町神明社、高師神明社、小浜神明社などがそれである。



志香須賀の渡
三河に志香須賀渡というがあり古い歌集に
  おしむともなきもの故にしかすがの
      わたりと聞けばただならぬかな
などとある。この渡しを徳川時代豊川河口の渡しであるといい、明治二十二年にはそこに然管村と名付けたことがある。しかるに、古い旅行記などを見るといづれも宮路山より西に書かれており、一説には矢作川の渡しであったとも云う。いづれにしても確実なことは分らない。



木像不動尊
雲谷町普門寺に木彫で六尺豊かな不動尊像がある。年代久しく相等腐朽しているが立派なものである。この像は僧文覚が頼朝に挙兵を勧め、その成功を祈るために頼朝の身の丈けと同じ像にしてこの寺に安置し祈願をこめたものと言伝えがあり、その甲斐があってか頼朝は平家を亡ぼし天下の権を握ったので、京都への行帰りこの寺へよって、必ずこの不動尊にお参りしたということになっている。



国宝正法眼蔵
豊橋東田の全久院に国宝に指定された正法眼蔵がある。これは曹洞宗の大本山永平寺を開いた道元禅師と、その弟子の書いたもので、この宗派では第一の宝物となっている。もと信州松本の全久院にあったもので明治四年廃寺のとき、その住職の意竜というのが、この地の全久院に伝えたもので、そのほかにも貴重なもの数種を伝えた。中に徳川氏の御朱印状が揃って実物である点など希有の例といってよかろう。